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常設展示「千代田にみる都市の成立と展開」のご案内

「環境・人間・都市」を基本軸に、千代田の古代から現在までの歴史を全5室の構成で区の文化財とともに展示しています。


第Ⅰ室 発掘されたくらしと環境

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Ⅰ-1 環境の変化と適応
展示室入口を入ると正面に、溜池土層剥ぎ取り標本と映像で展示導入部と展示全体のダイジェストを紹介します。

Ⅰ-2 発掘された千代田区
千代田の原始から古代までの環境と人々の暮らしを区内遺跡からの出土品や地形図、暮らしの風景イラストなどのビジュアル資料を使って展示しています。

Ⅰ-3 千代田のインフォメーション
皇居ガイド(絵地図・皇居内植物標本)、千代田の見どころ、皇居花暦などの情報が検索できます。


 

【Ⅰ室の見どころとなる展示資料】  

【花標本〇皇居東御苑の植物

 皇居の東御苑では、都心にあって、数多くの植物をみることができます。千代田区では、宮内庁の協力を得て、この東御苑の植物を2か年にわたって採集してきました。そして、これらをアクリル樹脂標本として立体的に展示しています。ソメイヨシノは、江戸時代に作られた桜の品種ですが、オオシマザクラとエドヒガンの掛け合わせによって誕生しました。桜のほか、木の実などの植物も標本にしています。

 

【1室】03諸磯式土器.jpg〇三番町遺跡の出土の諸磯式土器

 千代田区の三番町遺跡では、千鳥ヶ淵を南東に望む高台にある縄文時代の集落の広がりが確認されています。この遺跡で出土した土器の多くは、諸磯式土器(もろいそしきどき)という縄文時代前期(今から約6000年前ごろ)の土器です。諸磯式土器は、外神田四丁目遺跡でも破片がたくさんみつかっていますから、6000年前の千代田区には、諸磯式の土器を使う集団が、台地上にも低地にも暮らしたことでしょう。




第Ⅱ室 日比谷入江と中世千代田

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Ⅱ-1 江戸湊と都市の萌芽
中世の千代田、江戸湊をはじめ、この地域を支配した江戸氏について。水陸交通の要衝でもあったこの地に人・物・情報が集まり、都市の芽ができていったことや、仲介者としての宗教者の果たした役割を紹介します。
日比谷入江のジオラマや古文書のレプリカを展示しています。

Ⅱ-2 太田道灌の江戸

Ⅱ-3 小田原北条氏の江戸
太田道灌が築城する江戸は、関東を支配する上で重要な軍事拠点であり、水上交通の要衝でもありました。この地をめぐる様々な興亡を紹介します。


【Ⅱ室の見どころとなる展示資料】

【2室】01中世日比谷入江のイメージ.jpg〇中世日比谷入江のイメージ

 千代田区の東側は、東京低地といわれる低地です。家康入府以前は、写真のような入江と湿地帯が広がっていたものと考えられます。常設展示では、これまでにわかってきた考古学や自然史などの蓄積にもとづき、こうしたイメージをさらに広げて、中世の日比谷入江を取り巻く景観をジオラマにしました。

 

【2室】02メダイ.JPG〇キリシタン墓とメダイ

 千代田区の東京駅八重洲北口遺跡では、戦国時代末から江戸時代のごく初めごろのキリシタン墓が発見されています。写真のメダイは、キリシタン墓の副葬品として出土しました。メダイには、「無原罪の聖母」というモチーフがあらわされています。朱印船貿易で有名なヤン・ヨーステンに由来する八重洲地名を持つこの地に、このような墓がみつかったことは重要な発見です。




第Ⅲ室 将軍の城づくり

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Ⅲ−1 徳川幕府の成立


江戸幕府による270年に及ぶ平和の世の到来を解説しています。

 Ⅲ−2 江戸城築城

慶長期から寛永期までの絵図等により、江戸城の縄張り(構造)が変遷していった様子を、徳川家の全国支配(大名統制)と、江戸城が完成する「寛永江戸全図」、さらには史上最大級の寛永13年江戸城外堀普請の実態を近年の発掘調査成果を交えて解説します。そこから幕府による政治体制と江戸城惣構からの意義をお伝えします。

Ⅲ−3 江戸城本丸御殿

江戸城本丸の東方にある江戸城本丸汐見櫓台石垣では、長さ100m、高さ10mほどの石垣が修復されました。この石垣修理に伴う文化財調査では、石垣上から汐見二重櫓と多聞櫓跡が発見され、石垣内部から江戸時代初期にあった東照社の遺構、明暦の大火で焼けた瓦礫が多量に出土しました。これら出土遺物は、17世紀前葉の本丸御殿などに葺かれた瓦や御殿で使われた什器類と考えられます。

 

Ⅲ−4 江戸城下の整備

 慶長8年(1603)、家康が将軍に就任し、江戸に幕府を開くと、江戸城築城とともに堀割や街道など交通網の整備など城下の整備を行っていきました。

 このコーナーでは、城下の中枢である丸の内(大名小路)の発掘調査によって、大名屋敷や水道の整備がいち早く行われていたことを出土資料などから紐解きます。江戸時代初期の江戸は、都市建設に向かう人々で溢れ、それに伴い多種の物資や文化なども流入してきたのです。

 

Ⅲ−5 江戸図屏風(複製・原資料は国立歴史民俗博物館所蔵)

この屏風は、三代将軍徳川家光の事績を描いたものといわれ、左隻には江戸城を中心として品川までの城下町を描いています。作成年代は諸説ありますが、江戸時代初期の江戸城とその城下町、さらにそこに暮らし、働く人々の様子が克明に描いた風景図です。

 

 

【Ⅲ室の見どころとなる展示資料】

【3室】01三葉葵鬼瓦.JPG○江戸城出土の三葉葵鬼瓦

江戸城跡汐見多聞櫓台跡の石垣裏手から出土した資料で、徳川家の家紋である三葉葵が刻まれており、表面が赤色化していることから、火災にあったことを示している。この遺跡からは焼けた瓦が多量に出土し、これらは明暦大火(1657年)以前の御殿に葺かれていたと推定される。

【3室】02汐見多聞櫓台石垣出土花瓶.jpg○青磁「花生」(復元)

江戸城跡汐見多聞櫓台跡の石垣裏手から出土した資料で、明代の景徳鎮窯の青花や写真の龍泉窯の青磁など14世紀~17世紀はじめの中国渡来のやきもの、肥前の高級磁器などがみられる。戦国武将などは、その勢力を誇るためにやきものを集めたといい、そのなかには中国渡来の陶磁がみられた。これらは将軍徳川家に伝わり、本丸御殿を飾った可能性がある。




第Ⅳ室 江戸から東京へ

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Ⅳ-1 成熟した江戸
成熟した江戸の姿を「拡大する江戸」と、そこで花開いた文化・楽しみの2つの視点で捉えました。

Ⅳ-2 ゆらぐ江戸
幕末から明治維新に至り、東京が首府として引き継がれる経緯をひもといて、江戸東京が特異な都市であったことを明らかにします。

Ⅳ-3 調べてみよう江戸時代
江戸時代の時刻や暦が今とは大きく異なることなどを説明し、合わせて暗かった江戸の夜を体感するなどの展示コーナーを設けています。


【Ⅳ室の見どころとなる展示資料】

「御免 神田明神御祭礼番附」.JPG〇祭礼番附

神社祭礼の際に板行される「祭礼番附」には、警備などのため幕府役人に提出したものと、見物する市民のため絵草紙問屋が売り出す市販用がありました。市販用には、各氏子町が曳く山車や附祭が描かれ、江戸市民は番附を手に祭礼行列を楽しんでいました。

『亜米利加雑記』.JPG〇亜米利加雑記

外国船は、以前から蝦夷地・長崎などに来航していたが、嘉永6年(1853)のペリー艦隊の浦賀沖来航は、幕府だけでなく江戸市民にも衝撃でした。「亜米利加雑記」は、庶民向けにその様子を記したもので、挿絵には黒船やペリーら外国使節の似顔絵も描かれています




第Ⅴ室 まちの歴史

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Ⅴ-1 大名屋敷から官庁街へ「丸の内・霞が関」

永田町・霞が関・丸の内・有楽町などの地域は、江戸城直下に位置し、有力外様大名・幕臣重臣の屋敷や町奉行所などの幕府諸機関が置かれ、城下の中枢を形成していました。この地は近代以降も政治・経済の中心地として継承され、大きな区画として街区も継承されています。

ここでは近世大名屋敷から政府機関、我が国を代表するビジネス街への推移の過程などをお伝えしています。

 

Ⅴ―2 商工業のまち「神田」

江戸中期以降、神田地域は神田川を中心とした舟運の拠点地となり、江戸の商業都市として大きく発展していきます。このコーナーでは、江戸時代に幾度となく地震や火事に遭いながらも速やかに復興を遂げてきた神田の様子を示す資料、そして、そのような活気ある人々によって継承されてきた神田の商家(金物問屋)や産業(糀製造)に関わる資料を展示しています。

 

Ⅴ-3 賑わいのまち「駿河台・神保町界隈」

西神田・神田神保町・神田駿河台・神田錦町などの地域は、旗本屋敷・大名屋敷が混在する地域でした。この地は近代以降、新たな町が形成され商工業が発達します。また、大学・勧工場・劇場・映画館などが設けられるにぎわいの町となりました。

 

Ⅴ―4 文化人のまち「番町・麹町界隈」

江戸時代の麹町・番町界隈は、旗本や大名の屋敷が多く建ち並ぶ地域でした。しかし、その一方でこの地域には、彼らの生活を支える商店や当時の文化を支えた版元なども多く存在していたことはあまり知られていません。このコーナーでは、刷り物(浮世絵・絵地図)を中心に町屋としての番町・麹町の側面を紹介します。また、この地域は多くの作家・音楽家・実業家などが暮らしていました。モニターにて、この地域に縁のある文化人を紹介しています。

 

Ⅴ-5 千代田の近代年表

展示物やパネルをご理解いただくため、近代年表を掲げました。千代田区の暮らしにかかわる、代表的なできごとに絞りました。

また、小型モニターでは、神田駿河台のニコライ堂を建設する際の足場から撮影した写真を映像として流しています。この映像から、明治20年代とはいっても、江戸の町並みが色濃く残る千代田の風景をご覧いただけます。

 

Ⅴ-6 千代田のまち

展示室中央の「まち歩きマップ」では区内のみどころの分布状況がわかります。また、タブレットPCでは、主なみどころを紹介しています。

常設展示をご覧いただき、さらに、現地にも足を運ばれて、千代田の魅力を体感していただきたいと思います。

 

 

【Ⅴ室の見どころとなる展示資料】

薬莢.jpg〇薬莢「商人・職人のまち-内神田・外神田界隈-」

Ⅴ室「まちの歴史」では、現在の千代田区を4つの地域に分けて、それぞれの地域的特徴を紹介しています。なかでも「商人・職人のまち-内神田・外神田界隈-」のコーナーでは、万治3年(1660)に創業した金物問屋の紀伊国屋(三谷家)が大正期に製造した真鍮製の薬莢を展示しています。同家が開発した「深絞り」の技術が国から高く評価された商品であり、その後の三谷家の近代企業としての発展の契機となった資料です。

東京座番付.JPG〇番付(東京座)「にぎわいのまち-駿河台・神保町・三崎町界隈-」

 また、「にぎわいのまち-駿河台・神保町・三崎町界隈-」のコーナーでは、明治30年(1897)~大正4年(1915)に存在した東京座の番附「仮名手本忠臣蔵・紙子仕立両面鏡・鎌倉三代記」(明治32年)を展示しています。東京座は、明治中期に誕生した三崎三座のなかでも最大規模を誇った劇場でしたが、わずか18年間で廃座となったことから、東京座に関する資料は多くありません。こうした番附は、現在の映画のチラシ同様に興行前の宣伝の役割を果たしましたが、名場面や出演役者の名前が記載されていることから、演劇史・歴史・風俗史の観点からも貴重な資料といえましょう。当時の番附の大きさにも注目してみてください。




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