もうひとつの東京オリンピック ~1940年の「幻の五輪」~ レポート

2017年10月31日、日比谷カレッジ「もうひとつの東京オリンピック 1940年の幻の五輪」が開催されました。

講師は一橋大学大学院でスポーツの歴史やスポーツ社会学を研究している坂上 康博(さかうえ やすひろ)先生です。

いよいよ2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が迫ってきています。
2013年9月8日、東京はオリンピック招致に成功しました。
実は2013年の招致成功、なんと3度目の成功だと先生は話します。

最初は、その20年以上も前の1940年でした。
日本が「オリンピックを東京に迎えるぞ!」と名乗りを上げたのが1932年。
しかし、この頃の日本は世界から孤立していく時代でもありました。

ちょうどこの時期、日本は満州国の是非をめぐって世界と対立、国際連盟を脱退してしまいました。
それでもオリンピック招致に名乗りを上げたことを、坂上先生は次のように説明します。

「満州国が世界に認められなかった時代だからこそ、日本は招致を成功させ、世界から認められたかったのです。」

そのため、日本はスポーツ振興に力を注ぎます。
その甲斐あって1932年のロサンゼルスオリンピックでは多くのメダルを獲得し、日本がスポーツ大国であることを世界に訴えました。

一方で招致合戦の相手であるイタリアに対して、「次回はローマに譲るから、今回は辞退してほしい」と、時の首相ムッソリーニに交渉を持ちかけ、ライバルを減らす工作も進めておりました。(この件に関してはIOCに「政治的介入」として厳重注意されたとか)

そして1936年、ちょうどベルリン大会が開催された年に、ついに日本はオリンピックを勝ち取りました。
日本がなぜ招致合戦に勝利できたのか、坂上先生の解説によると、

・政治とスポーツは別と考えるIOCの基本原則があったから
・ヨーロッパからの移動時間の長さの問題などをクリアできたから
・アジア初の開催となり、5つの大陸で開催するというオリンピックの目標に近づくため
・日本のスポーツ振興に対する尽力を称えて

といった点が挙げられるとのことです。

しかし、その翌年に盧溝橋事件が発生し、日中間に亀裂が生じ、日中戦争へと発展してしまいます。
当然諸外国からは「戦争をしている国で平和の祭典を行うつもりか」と日本に非難が集中することになります。

ところが、IOC側から開催権を取り上げる、ということはなく、日本側から「戦争に集中するので開催権は返上する」という形で、1940年の東京オリンピックは幻に終わってしまいました。

「実はここにIOCの大きな思惑があります」
と、今回の講座の重要なポイントとして、先生は続けます。

「なぜ、IOCはこれから戦争を始めようとする国に開催権を託したままなのか。
もちろん政治とスポーツは別に考えるという原則もありますが、それ以上にIOCはオリンピックを理由に戦争を止めたかったのではないでしょうか」

と締めくくりました。

結末だけを見てしまえば、IOCの願い…オリンピックで戦争を止めることはできませんでしたが、日本のオリンピック招致から返上までの間に、様々な思惑や願いがあったことが判明した講座となりました。

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