日本の女性画家たち ~平安時代から近・現代まで~(全3回)【第2回】女性による書画制作の歴史:平安時代の女房から近代の文人まで レポート

2017年9月6日(水)、「日本の女性画家」の第2回目「女性による書画制作の歴史:平安時代の女房から近代の文人まで」が開催されました。

第1回目に続き、山種美術館特別研究員である三戸信惠先生に、平安時代から続く女性画家の歴史的な展開を話していただきました。

まず、日本の女性画家との比較のため、西洋の女性画家の話から始まります。
「レディーファースト」など、女性を大切にしているイメージのある西洋ですが、かつては非常に厳しい女性差別があったとのこと。
かの著名な画家・ルノアールは、女性画家に対してこんな言葉を残しております。

「女性の芸術家なんておかしくて笑っちゃうよ!歌手とか踊り子とかなら大歓迎だけどね!」

当時の女性画家が、いかに低く見られていたかを強烈に伝える一文です。
その他、絵を描く上でもっとも重要な基礎練習の一つ「デッサン」にすら女性は制限をかけられていました。

女性は男性のヌードデッサンを禁止されていたのです。
「女性が男性のヌードを見るのはけしからん」と言われ、筋肉隆々の男性を描いた作品(神話の絵や歴史画)が評価される当時では技術的にも女性が画家として職に就くことは困難を極めました。(なお、男性が女性のヌードを描くのは全く禁止されていません)

それでは、日本の女性はどうでしょうか。
なんと日本の女性たちは、西洋とは全く別の歴史を辿っているのです。

縄文や弥生時代、男性は狩りに出かけ、女性は家で手仕事、という役割分担が確立しており、糸を紡ぐ・布を染める・服を縫うといった裁縫は、むしろ女性の世界であったという歴史があります。そこから刺繍など、女性による生活必需品以外の制作活動が自然と盛んになりました。

平安時代になると紫式部を筆頭に「書」や「詩」を制作する流行が男女関係なく訪れました。
やがて書や詩に挿絵を描くようになり、貴族の娘に限定はされますが、女性による書画制作は当たり前のようにあったのです。

時代は流れ、近世になると現代でも名前と作品が判明している女性画家が現れ始めました。
葛飾北斎の娘・応為や歌川国芳の娘・芳鳥女など、家庭に恵まれ、幼い頃から師とする人物がいた女性たちに限定されますが、「女性だからといって教える絵の範囲を限定する」といったこともなかったため、非常にのびのびと制作活動を行っていました。

明治維新後は、奥原晴湖(おくはらせいこ)や野口小蘋(のぐちしょうひん)など、男性の門徒を抱え、男性よりも高い評価を授かるような「女傑」が登場します。

野口小蘋は、上村松園よりも早くに天皇陛下お抱えの絵師「帝室技芸員」に女性初として任命され、皇室の祭事などで用いる屏風などの製作を手がけることになりました。

こうして平安時代から明治時代に至るまでの女性画家の歩みを辿りましたが、三戸先生は最後に、

「平安時代から続く、女性による制作の歴史があったからこそ、彼女たちが道を切り開いてくれたからこそ、今があるのです」
と、締めくくりました。

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