日本の女性画家たち ~平安時代から近・現代まで~(全3回)【第1回】上村松園とその時代 レポート

日本を代表する画家・絵師といえば、誰を連想するでしょうか?
葛飾北斎… 横山大観… 思い浮かぶ人物のほとんどは男性ではないでしょうか。
しかし、古くは平安時代から、画家としての足跡を残してきた女性画家が存在するのです。

そんな女性画家の軌跡をたどる全3回の講座「日本の女性画家たち ~平安時代から近・現代まで~」の第1回目は最も有名な女性画家の1人、上村松園(1875-1949)の一生と作品についてのお話です。

講師には、山種美術館の特別研究員である三戸信惠先生にお越しいただきました。

松園は幼少期から絵を描く才能に溢れていたようで、文字の読み書きを覚える前に「他の人が見ても、何を描いているかわかるレベルの絵」を描いていたという逸話が残っています。

そんな松園ですから、当然「絵の勉強がしたい」「画塾に入りたい」と言います。
当時としては自然な反応かもしれませんが、「女が絵の学校に入るなんて!」と叔父は猛反対。

しかし、「つうさん(松園の愛称)の好きな道やもん」と、叔父の反対を受け付けなかったのが、母・仲子でした。

こうして京都府画学校に入学、画家鈴木松年の門下生となるなど、順調に画家としての道を歩み始めた松園。

15歳の頃には政府主催の博覧会に作品を出品、一等褒章を受章し、イギリスの皇子がその絵を買い上げるほどの功績を収めました。
すると、猛反対していた叔父もすっかり気を良くしてしまったようで、自宅に顔を出してはお祝いし、展覧会を開こうものなら毎回通い、周囲に自慢して回っていたとか。

27歳で長男(同じく画家となった松篁(しょうこう))を出産、すでに自分の手筆1本で家計を支えるほどの画家になっていた松園ですが、29歳の時の美術展に出品をした際に事件が起きます。

警備の隙を突いて、作品の顔部分が塗りつぶされるという嫌がらせを受けてしまいます。
「女性のくせに、という理由で受けた落書きでした」と松園本人も語っており、当時の彼女が妬まれ、疎まれていたことが垣間見える一件でした。

が、本人は全く意に介さず、落書きされたままの絵を展示しようとします。
彼女曰く、「落書きされたからといって片付けたら、私はその嫌がらせに屈したことになります。私は屈しません。」と一蹴、それだけでなく「警備の人間は何をやっていたのですか」と警備の人間に説教を行うほどの肝っ玉ぶりを見せます。

以降、何事にも屈さない精神で画家の道を突き進み、女性としては初の文化勲章を受賞するに至ります。

絵のジャンルに関しても、多少横道に逸れることはあっても徹底して女性の絵…美人画を描き続けました。
美人画を描き続けたことに松園は、「男性の描く女性と、女性の描く女性では“どこに美しさを感じるか”の着眼点が違います。女性だからこそ気付ける仕草や一瞬の美があると思います。」と、女性ならではの視点で描き、
「その絵を見ていると邪念の起こらない、またよこしまな心を持っている人でも、その絵に感化されて邪念が清められる…といった絵こそ、私の願うところのものです。」
と、理想の絵について語っています。

1949(昭和24)年、肺がんのため74歳で亡くなりますが、その直前まで絵を描き続けた上村松園。
力強く、自分の信念を貫き続けた画家の一生を振り返る講座でした。

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