第12回ジャパンナレッジ講演会  辞書編集者を悩ませる、日本語⑤「アップデートされることば」レポート

7月26日(水)に国語辞典編集者・神永曉氏を講師に迎え、第12回ジャパンナレッジ講演会「辞書編集者を悩ませる、日本語」第5弾を開催しました。

森友・加計の学園問題、自衛隊の日報問題……国会は閉会中ですが、政治に関するニュースが世間を騒がせています。それと比例して、今年は政界から生まれた注目ワードが大豊作……ということで、今回は「アップデートされることば」と題し、いま注目されている言葉を中心に神永氏が解説しました。

●「忸怩(じくじ)」──「忸怩たる思い」という使い方が国会で流行。本来の意味は「自分を恥ずかしいと思うさま」なのに、国会では「他人に対して残念に思う」という意味で用いられている。

●「云々(うんぬん)」──安倍首相が「でんでん」と読み間違い。「伝」からの類推と考えられる。

●「ぶっちゃけ」──「ぶちあける」の俗語「ぶっちゃける」の副詞。2003年のドラマで市民権を得た言葉。2007年から国会でも使い始められ、目上だろうと思える人にも使っている。

●「忖度(そんたく)」──中国の『詩経』にみられる古い言葉だが、現在の国語辞典でも「相手の気持ちを推し量る」としか出ておらず、「推し量って“配慮する”」までの意味はない。

国会会議録検索システムを使って、議員が発した話題の日本語をチェック。編集を担当した『日本国語大辞典』で言葉の意味を引いてみたり、福沢諭吉や夏目漱石、島崎藤村などの文章を用いたりして、それぞれの言葉が歩んできた道のりを振り返り、神永氏がテンポよく解説しました。

熱心にメモを取ったり、大きくうなずいたり、ときには笑いがこぼれたり……今を彩る言葉の連発に、会場の皆さんも思わず前のめり。そのほか「ごはんを“よそる”、“よそう”」といった興味深い方言のお話、朝ドラで話題になった「銀ブラ」(銀座でブラジルコーヒーを飲むという間違った語源が使われていた)問題についても説明。

「日本語は私たちにとってとても大事なもの、愛情をもって使ってほしい」と神永氏。政治家の先生方を笑ってみているけど、果たして我々はどうなのか。日本語を大事にしているだろうか?―― 面白い中にも日本語のことを深く考えさせられた90分でした。

 

 

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古書で紐解く近現代史セミナー 第26回 内田嘉吉文庫から見たロシア革命 レポート

61日(木)、特別研究室企画展示:ロシア革命から100年~国際派官僚の書棚で触れる近代ロシア の関連講座として「内田嘉吉文庫から見たロシア革命」を開催しました。講師には拓殖大学国際日本文化研究所教授・ワシーリー・モロジャコフ氏をお迎えしました。

古書で紐解く近現代史セミナー 第26回 内田嘉吉文庫から見たロシア革命

今回の企画展示は企画本のセレクトをモロジャコフ氏に担当していただいていることもあり、講座は展示本を紐解く形で進められました。
歴史研究者であり、古書のコレクターでもあるモロジャコフ氏ならではの視点で、革命前後のロシア社会や展示本の著者の人物像について、また、展示本の資料的価値についても言及していただきました

古書で紐解く近現代史セミナー 第26回 内田嘉吉文庫から見たロシア革命

展示本は洋書(ロシア語、英語、フランス語)がほとんどのため、モロジャコフ氏の解説で内容がわかり、展示を見る際の参考にもなったのではないでしょうか。
また、ロシア革命を、労働者の革命、農民革命、民族革命と多角的に見ることで、展示本もこれまでとは違った角度から見ることができるのではないかと思われます。

古書で紐解く近現代史セミナー 第26回 内田嘉吉文庫から見たロシア革命

本講座は、ロシア革命を通じて内田嘉吉文庫の蔵書を知る機会ともなり、「写真が多く紹介されて臨場感があった」「内田嘉吉の蔵書から彼の興味関心がわかって面白かった」といったコメントが寄せられました。

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江戸歴史講座 第44回 江戸時代の囲碁と将棋 ~ 本因坊算砂と大橋宗桂~ レポート

2017年5月25日、江戸歴史講座の44回目として、「江戸時代の囲碁と将棋 ~本因坊算砂と大橋宗桂~」が開催されました。

遊戯史学会の会長であり、囲碁・将棋を初めとした遊戯に関する多くの研究をされている増川宏一先生をお招きして、現在の研究について話していただきました。

藤井聡太棋士によるデビューから負けなしの連勝記録の更新、コンピュータソフト「alphaGO」がプロ相手に4勝1敗で勝ち越す、など連日人々の話題を集め、その動向が注目される囲碁・将棋界。
今でこそ競技性を有し、プロの存在する囲碁と将棋ですが、その原点はどの時代にあったのでしょうか。

中国から伝来したとされる囲碁と将棋、14世紀の日本ではすでに公家や僧侶の間で
「教養として身に着けておくべき諸芸」として、茶道や詩とともに学ばれることがありました。
そしてそれに倣うように武士も囲碁と将棋を学び、やがてそれが一般市民にも伝わり、全国的な広がりを見せることになります。

しかし、その一方で「僧侶としての勤めが疎かになる」「賭け碁・賭け将棋の横行」で禁止にする寺社も少なくありませんでした。

15世紀に入ると環境に変化が訪れます。
大勢の碁打ちの中から、特に実力を持つ「名手」が出現し始めます。
名手は各地の公家の邸宅や寺社に赴き、指導を主としながら目の前で、時には相手役を買って指すようになります。
その謝礼として金銭や物品を受け取る名手が登場し、これが「最初のプロ」と先生は語ります。

16世紀や江戸時代に入ると豊臣秀吉や徳川家康が主導で行う大茶会や大宴会に碁打ち・将棋指しが招かれるようになり、大商人や茶人の観衆の中、天皇や将軍の御前で対局を披露・指導をするようにもなります。
本講座のタイトルにもあり、現在の対局の名称にもなっている囲碁の名手、「本因坊算砂」と将棋の名手、「大橋宗桂」が登場したのもこの時代です。

徐々に披露や指導の場面が多くなるにつれて、碁打ち・将棋指しの社会的地位は上昇、それを証明するかのように当時の公家たちが遺した日記には、

「関ヶ原の合戦で、西軍方に味方した本因坊の遠戚が死罪を免れたそうだ。噂を聞くに、本因坊自身が家康公に対して口利きをしたそうじゃないか。」

といった内容の文言が残されていたとのこと。

その関ヶ原の合戦の後、天下統一が磐石になった家康は、ついに本因坊、宗桂を含む8名の碁打ち・将棋指しに扶持(現在の給与に近い)を与えるようになります。
民衆や公家、僧侶が嗜む「遊戯」から、幕府公認の「芸能」となった瞬間でもあり、プロが誕生した瞬間でもある、と先生の解説にも熱が入ります。

しかしまだ疑問は残ります。

同じ幕府公認の芸能として、「能楽」や「華道」などがありますが、それらと比べてしまうと囲碁や将棋はまだ大衆の認知が浅く、博打的要素もある。
いくら幕府を開いて混乱の少ない世の中に向かいつつある時期だとしても、芸能に昇華するのは早すぎるのでは…?

先生は最後に囲碁・将棋の「芸能昇格」の理由として、次のような説を提唱します。

「―家康は、秀吉に関連する出来事や事件が起きる度に茶会や宴会を開いております。
朝鮮出兵時や秀次の自決事件など、そして秀吉が亡くなった後は秀頼を対象に変えて…

一度茶会や宴会を開けば様々な武将や僧侶、豪商などが一堂に会することになります。
武将からは秀吉や秀頼の動向を聞き、豪商からは現在の経済事情を伺う場でもありました。
そういった内密の話を聞くのに碁打ち・将棋指しが仕向けられたのではないかと思っております。

今の言葉ですと“スパイ活動”をしていたのではないか、ということです。

観客のいる対局はともかく、指導であればターゲットと2人きりになれますし、距離も近い。
内密の話をするのにはうってつけの立場にいると思います。

それを裏付けるように、本因坊や宗桂など、家康と親しい名手ばかりが宴会の度に出向いている記録が残っております。そう考えれば、江戸時代、ある程度の人数がいた碁打ち・将棋指しの中から、なぜこの8人だけが扶持を与えられたのか、また能楽や華道と同じ芸能と認められたのかが説明できるわけであります。」

碁打ち・将棋指しが「スパイ活動」を行っていたとする説には会場の参加者も「まさか」といった表情や仕草で、先生の話を聞いておりました。

もちろん、この説は状況証拠だけを集めた説であり、確証には至っていないと締めくくりましたが、かつての碁打ち・将棋指しの生活ぶりからプロ誕生までの経緯を知ることのできた講座となりました。

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近代日本ものづくり研究会 日比谷カレッジ版 経済の縮小に対応できる社会とは ~谷根千工房の実践をヒントに~ レポート

520日(土)、近代日本ものづくり研究会 日比谷カレッジ版「経済の縮小に対応できる社会とは~谷根千工房の実践をヒントに~」を開催しました。講師には、京都大学名誉教授・縮小社会研究会代表理事の松久寛氏、谷根千工房代表取締役の山﨑範子氏をお迎えしました。
初めに、松久氏から縮小社会とはどのようなものか、概要を説明していただきました。

近代日本ものづくり研究会 日比谷カレッジ版 経済の縮小に対応できる社会とは ~谷根千工房の実践をヒントに~

エネルギー使用の年2%縮小で化石燃料が枯渇するまでの時間を引き延ばすことができ、年2%の縮小は可能であることをグラフや具体的事例を紹介していただき、人口減少や高齢化ですでに「縮小」が始まっている社会においては、成長が豊かさや幸せとイコールではない、発想を転換し楽しく縮小して、みんなが幸せになる社会を構築していくべきというお話から、そういった幸せな社会の都会での実践例として山﨑氏の谷根千のお話へとつないでいただきました。

近代日本ものづくり研究会 日比谷カレッジ版 経済の縮小に対応できる社会とは ~谷根千工房の実践をヒントに~

山﨑氏からは、東京には珍しい自然、地震・戦災に耐えた建築物、史跡、形にはならない暮らしぶり等々を調査・記録・紹介して次世代に渡す手だてとして地域雑誌『谷根千』を1984年に発刊したことを説明していただき、その活動を具体的な事例を挙げて紹介していただきました。
旧東京音楽学校奏楽堂や旧安田楠雄邸、長く使われていなかった蔵の保存・公開・活用などは他の地域でも参考にできそうな活動で、そこに関わる地域住民にとっては歴史の再発見でもあるようです。
「懐古趣味ではなく、良いものを生かしながら、暮らすのが楽しい、生きのいい町として発展するのに少しでもお役に立てたら」という『谷根千』の編集方針は、「丈夫で長持ち」「良いものを長く使う」といった縮小社会のコンセプトと親和性があり、実践例としては大変わかりやすかったのではないでしょうか。
地域雑誌としての『谷根千』は2009年に終了していますが、活動はまだまだ続いていて、谷中にあったのこぎり屋根の織物(リボン)工場の記録・資料調査は今後の進捗が期待されます。また、井戸が埋められるという計画があると「祟りがある」と中止するよう説得するなど、楽しく地域の景観や歴史を守っていく活動の様子がよくわかりました。
今回の講座ではさらに、「谷根千地域におけるソーシャルキャピタルと健康に関する住民参加型アクションリサーチ」についても紹介していただきました。谷根千地域の高齢者が「幸せそうにみえる」ことから、始まった研究とのことですが、どのような結果になるか、大変興味深いところです。

近代日本ものづくり研究会 日比谷カレッジ版 経済の縮小に対応できる社会とは ~谷根千工房の実践をヒントに~

参加者の皆さんからは「本当に必要なものは何か考えて暮さねば」「縮小社会と一般社会生活との相関性のヒントが得られました」「地域の歴史認識、文化の保存などの必要性を改めて痛感」といったコメントが寄せられ、今の暮らしについて再考するきっかけとなる講座内容でした。

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近代日本「ものづくり」夜学会 日比谷カレッジ版 20世紀最大の土木事業 パナマ運河の謎(全2回) 第2回 パナマ運河はどのようにつくられたのか? レポート

316日(木)、近代日本「ものづくり」夜学会 日比谷カレッジ版「20世紀最大の土木事業パナマ運河の謎」(全2回)の第2回を開催しました。この回のテーマは「パナマ運河はどのようにつくられたのか?」、講師は前回に引き続き土木学会正会員・「青山士とパナマ運河」研究家の清水弘幸氏です。

近代日本「ものづくり」夜学会 日比谷カレッジ版 20世紀最大の土木事業 パナマ運河の謎(全2回) 第2回 パナマ運河はどのようにつくられたのか?

パナマ運河は、当時エッフェル塔の建設で世界最高峰といえる土木技術を持ち、スエズ運河の開通に成功したフランスが工事に着手しました。
しかし、乾いたスエズで運河建設に成功したフランスも、熱帯雨林のパナマでは気候や風土病に苦しみ、また、パナマ地峡の独特な地層の工事に対応できず、撤退を余儀なくされました。
その後を引き継いだのがアメリカです。アメリカは徹底した衛生管理の下、風土病を予防し、正確な測量や最先端の土木技術で、パナマ地峡の地層や「クレブラカット」と呼ばれる蛇行した区間に対応しながら工事を進めました。
フランスが採った水面式を止めて閘門式を採用するなど、アメリカの土木技術こそが世界最高峰であることを世界に知らしめる建設工事であったと言っていいいでしょう。

近代日本「ものづくり」夜学会 日比谷カレッジ版 20世紀最大の土木事業 パナマ運河の謎(全2回) 第2回 パナマ運河はどのようにつくられたのか?

地滑りが起こりにくい角度を算出しての掘削作業や、掘削土をオートメーションで鉄道に運んで処分するという、現在でも通用するシステムのお話などは大変興味深く、パナマ運河が難工事であったことがよく理解できました。
アメリカが記録した工事の様子と、船舶がパナマ運河を通過する場面を5分にまとめた(実際は通過に1011時間かかる)貴重な映像も紹介していただき、大変わかりやすく、参加者の皆さんからも高評価の講座でした。

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日比谷カレッジ 第11回ジャパンナレッジ講演会  川瀬巴水没後60年企画「浮世絵ルネサンスと巴水の名作」レポート

2月23日(木)に銀座・渡邊木版美術画舗(通称・渡邊版画店)の3代目店主、渡邊章一郎氏を講師に迎え、第11回ジャパンナレッジ講演会、川瀬巴水没後60年企画「浮世絵ルネサンスと巴水の名作」を開催。大勢のお客様に参加していただきました。

渡邊氏の祖父、渡邊庄三郎は「新版画」という新たなジャンルを作り、大正、昭和期に江戸の浮世絵技術を再興させた方です。新版画はいまでも、日本はもちろん、海外にも愛好家がたくさんいて、アップル社の設立者、故スティーブ・ジョブズ氏は伊東深水の美人画を用いて新製品のプレゼンテーショしたこともあるそうです。

明治時代、江戸の浮世絵は、急激に衰退。写実性では写真にかなわない、速報性では新聞にかなわない、みやげ物としてどうかといえば、その地位を絵葉書に取ってかわられ、次第に浮世絵師になろうとする人もいなくなりました。けれど、「外国では浮世絵は売れている」――。ならば、浮世絵の復刻版を作り、海外へ輸出すればいい──庄三郎はそこに商機を見つけます。

新版画への挑戦のきっかけとなった二人の外国人絵師との出会い、画家橋口五葉との喧嘩別れの真相、鏑木清方門下の伊東深水を美人画の絵師として抜擢、そして40年間をともに歩いた絵師巴水との邂逅など、新版画の名作を見ながら、渡邊氏は庄三郎と新版画についてテンポよく解説していきました。

そして後半は、旅の版画家、巴水の名作を一挙に紹介。巴水が得意とする、雪・月・花・雨・夜・夕暮・早朝のジャンル別に、これぞ名品、といわれる作品をピックアップし解説していただきました。単なる美術評論ではなく、版元という商売人の視点でのお話はどれも新鮮で、渡邊氏しか知りえないエピソードもふんだんに盛り込まれており、会場のお客様も最後まで熱心に聞き入っていました。

 

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近代日本「ものづくり」夜学会 日比谷カレッジ版 20世紀最大の土木事業 パナマ運河の謎(全2回) 第1回 パナマ運河はなぜつくられたのか? レポート

222日(水)、近代日本「ものづくり」夜学会 日比谷カレッジ版「20世紀最大の土木事業パナマ運河の謎」(全2回)の第1回として、「パナマ運河はなぜつくられたのか?」を開催しました。講師には、土木学会正会員・「青山士とパナマ運河」研究家の清水弘幸氏をお迎えしました。
清水氏には、昨年1215日に開催した 古書で紐解く近現代史セミナー第24回「青山士 パナマ運河と荒川放水路建設に生き様を刻んだ伝説的土木技師」でもお話しいただきましたが、今回はパナマ運河に焦点を絞って語っていただきました。近代日本「ものづくり」夜学会 日比谷カレッジ版 20世紀最大の土木事業 パナマ運河の謎(全2回) 第1回 パナマ運河はなぜつくられたのか?

1513年、スペイン人・バルボアがパナマ地峡を横断して太平洋を発見して以来、大西洋と太平洋を結ぶことは多くの人々にとっての夢でした。
1880年から1889年まで、スエズ運河建設者であるフランス人・レセップスによるパナマ運河建設が行われますが、熱帯での建設作業経験がなかったため、予想以上の難工事や疫病に対応できず、建設計画は挫折します。
パナマ運河建設事業は米国に引き継がれ、1904年、工事に着手します。レセップスの失敗を教訓に、徹底的な衛生管理が行われました。工事では、レセップスの海面レベル方式ではなく、水門式運河が採られました。最新の工事技術と巨費を投じ、1914年、第一次世界大戦勃発の年にパナマ運河は開通しました。

近代日本「ものづくり」夜学会 日比谷カレッジ版 20世紀最大の土木事業 パナマ運河の謎(全2回) 第1回 パナマ運河はなぜつくられたのか?

パナマ運河の開通により、ニューヨーク―サンフランシスコ間が15000キロ短縮され、米国の産業にとってのメリットは大きいものでした。また、第一次世界大戦以後、パナマに軍隊を駐屯させた米国にとってパナマ運河は、軍事上でも大きな役割を果たしました。
大西洋と太平洋を結ぶこの運河は、人々の夢から大国の世界戦略へと、建設目的が変化していったことを認識させられる講座内容でした。

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古書で紐解く近現代史セミナー 第25回 地図と都市 ―台湾・樺太の『火災保険特殊地図』と都市研究の可能性― レポート

218日(土)、特別研究室企画展示:日本統治期台湾の都市景観~遺された『火災保険特殊地図』より~ の関連講座として「地図と都市―台湾・樺太の『火災保険特殊地図』と都市研究の可能性―」を開催しました。講師には熊本県立大学教授・辻原万規彦氏、明治大学准教授・青井哲人氏のお二人をお迎えしました。

古書で紐解く近現代史セミナー 第25回 地図と都市 ―台湾・樺太の『火災保険特殊地図』と都市研究の可能性―

初めに、辻原氏より「火災保険特殊地図の面白さ」をテーマにお話しいただきました。
この講座のタイトルにもある、台湾・樺太(他に旭川市も)の『火災保険特殊地図』は特別研究室で所蔵しているものです。
20155月に特別研究室で『火災保険特殊地図』をご覧になってからデジタル資料化、論文発表への経緯や『火災保険特殊地図』の具体的な内容、どんなことがわかるかについて説明していただきました。
『火災保険特殊地図』は、その名称からもわかるように、火災保険料を算出するために作製されたものです。樺太の『火災保険特殊地図』には「そ」の文字が記載されている箇所があり、これは蕎麦屋を示していて、おそらく蕎麦屋は火災が出やすいという認識があった等当時の様子が大変よくわかるお話でした。

古書で紐解く近現代史セミナー 第25回 地図と都市 ―台湾・樺太の『火災保険特殊地図』と都市研究の可能性―

次に、青井氏より「台湾都市の成り立ちを歴史的に読み解く」をテーマにお話しいただきました。
日本統治期の台湾の都市計画についてはよく知られており、それに伴って整備されていった建築物は現在も残り、リノベーションでさまざまに活用され、人気を集めていますが、それに至るまでにどのような改造が行われたのかについて分かるためには、元の都市の姿を知る必要があります。
講演では彰化を例に、都市計画前の市街地の痕跡を紹介していただき、さらに清末から日本統治期初期の都市の変遷をたどっていただきました。
また、北斗を例に、地理的条件と建物の関連性についても紹介していただき、その合理性や人々の知恵は大変興味深いものでした。

古書で紐解く近現代史セミナー 第25回 地図と都市 ―台湾・樺太の『火災保険特殊地図』と都市研究の可能性―

休憩を挟んで、質疑応答の後、両氏の現在の研究についても紹介していただきました。
台湾の都市の成り立ちと交通(物流)の関連性など、その成果に期待される参加者の方も多かったと思われます。

古書で紐解く近現代史セミナー 第25回 地図と都市 ―台湾・樺太の『火災保険特殊地図』と都市研究の可能性―

講座終了後はたくさんの方が特別研究室に来室され、『火災保険特殊地図』をご覧になっていました。講師の辻原氏、青井氏に熱心に質問される方もあり、大変充実した内容の講座でした。

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古書で紐解く近現代史セミナー 第24回 青山士 パナマ運河と荒川放水路建設に生き様を刻んだ伝説的土木技師

1215日(木)、特別研究室企画展示:「国際人」としての生き方~大航海時代から昭和戦前まで~ の関連講座として「青山士パナマ運河と荒川放水路建設に生き様を刻んだ伝説的土木技師」を開催しました。講師は土木学会正会員・「青山士とパナマ運河」研究家の清水弘幸氏です。

古書で紐解く近現代史セミナー 第24回 青山士 パナマ運河と荒川放水路建設に生き様を刻んだ伝説的土木技師

青山士は1878年、現在の静岡県磐田市に生まれました。
パナマ運河建設に関わった唯一の日本人ですが、一般的にはあまり知られていません。
青山の人生は、内村鑑三の演説「今日の日本」を聞いたことで決まりました。東京帝国大学工学部での師・廣井勇の影響により形成された「土木で国民を救済する」という倫理観と責任感が、内村の演説を聞いたことで「人類のため、国のため」という大志に結実しました。
「この世をよくして去りたい、(I wish to leave the wolrd better than I was born)」というモットーは最後まで土木技師を天職として覚りその気概を貫き生涯を通じて内村、廣井といった師の期待を裏切らなかった士(サムライ)らしいクリスチャンという証といえます。
青山は、大学を出るとすぐにパナマ運河工事に参画するために日本を発ちます。
そして、アメリカ土木学会(ASCE: American Society of Civil Engineers)20世紀における世界の土木工事の7不思議の一つに指定したほどの難工事でであったパナマ運河工事に、7年半一身を捧げました。大変な難工事に取り組む中、日露戦争が終わった頃からアメリカ、中南米で高まった反日運動の影響で、青山はパナマ運河の完成を見ずして帰国します。

古書で紐解く近現代史セミナー 第24回 青山士 パナマ運河と荒川放水路建設に生き様を刻んだ伝説的土木技師

ガトゥン閘門西閘門室から北を望む(『Souvenir of the Panama Canal』より)

帰国後は荒川放水路工事に最高責任者として従事します。この工事は、利根川、荒川で起きていた大洪水から何百万人もの人々を救うことになりました。
この荒川放水路工事の最中には、信濃川の大河津で大きな事故起き、青山は大河津修復の最高責任者となり、信濃川大河津分水路の改修工事を指揮しました。
今日、多くの人がその恩恵を受けるインフラ整備に取り組んだ青山は、自らのモットーである「この世をよくして去りたい」を体現した人物であるといえるでしょう。

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古書で紐解く近現代史セミナー 第23回 今も世界に輝く高峰譲吉さんの業績

128日(木)、特別研究室企画展示:「国際人」としての生き方~大航海時代から昭和戦前まで~ の関連講座として「今も世界に輝く高峰譲吉さんの業績」を開催しました。講師はNPO法人高峰譲吉博士研究会理事長の石田三雄氏です。古書で紐解く近現代史セミナー 第23回 今も世界に輝く高峰譲吉さんの業績

石田氏は「高峰譲吉はどんな人物だったのか? どんな仕事をしたのか?」に焦点を当て、話を進めていただきました。。
現在も米国で高い評価を受ける高峰譲吉博士ですが、高峰が眠るニューヨーク郊外の墓地の案内には下記のように記されています(和訳)。
・“近代バイオテクノロジーの父”
・でんぷん消化酵素実用化の最初の発明(1886年)
・アドレナリンの最初の結晶化(1901年)
・ワシントンD.C.を美しく染める有名な桜の寄贈(1912年)
このような業績を残した高峰にはさまざまな出会いがありました。
15歳で入学した大阪医学校で最新のドイツの理化学をドイツ語ではなく英語で教授してくれたリッテル先生と出会ったことがきっかけで、医学ではなく化学の道に進んだこと。東京大学工学部でのアトキンソン先生との出会い、英国グラスゴー留学でミルズ先生から発酵(醸造)の科学原理を学ぶなど常に英語で学ぶ環境にあったこと。帰国後、農商務省官僚としてニューオーリンズ万博に派遣され、そこで妻キャロラインと出会ったこと。米パーク・デイヴィス社の経営者ジョージ・デイヴィスとの出会いは、デイヴィスが高峰を高く評価していたことから、タカジアスターゼの発売につながりました。
さらに東京人造肥料会社の起業に際しては渋沢栄一、益田孝に出資を仰いでいます。
これらの出会いは、その都度高峰の進む道を決め、また、後々まで残る業績のきっかけともなりましたが、高峰が熱心に勉強をした土台があったからこそといえます。

古書で紐解く近現代史セミナー 第23回 今も世界に輝く高峰譲吉さんの業績
高峰譲吉(K.Kawakami著『Jokichi Takamine』より)

晩年は日米親善に尽力し、日本からの経済使節団を的確に誘導、日露戦争を目前にして「知日」「親日」を広める献身的努力、桜の寄贈等に手腕を発揮しました。
米国生活の長かった高峰は、日本に帰国したいという思いもあったそうですが、渋沢、益田に説得され帰国を断念し、終生日米親善に尽くしました。

古書で紐解く近現代史セミナー 第23回 今も世界に輝く高峰譲吉さんの業績

最後に、ハーバード大学医学部ホフマン教授の著書『Adrenaline』(2013年)に「高峰は、アドレナリンの単離という貢献に対して一度も(ノーベル賞の)候補者に指名されたことがない。(のは不思議なことだ)」という一文が記されていること、2015年にタカジアスターゼが「重要科学技術資料賞」を受賞したことを紹介していただきました。
「こんなにもすごい日本人がいたことを私たちはあまりよく知らない」ということを実感させられる内容の講座でした。

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